ロッキーホラーショー2017日本版感想(移設記事)
※ふせったーから移設
ロッキーホラーショー本家が持つテーマと2017日本版についての感想です。
ネタバレあり注意
古田新太主演、河原雅彦演出のロッキー・ホラー・ショー(RHS)を観てきました。
2011年に古田新太がフランクンフルターを演じたあとでロッキー・ホラー・ピクチャー・ショーに出会った私は、日本の舞台でRHSが再び演じられる日を心待ちにしていたのですが、残念ながら北九州公演一枚しかチケットが取れず…。その一公演だけしか観てない上での感想ですので、記憶違いがありましたらごめんなさい。
RHSは言わずと知れたカルトミュージカルで、1973年にロンドンで初演の幕を開けてから世界中にファンを量産しているミュージカル(そして映画も)であります。
なぜこのミュージカルと映画が大ヒットしたのかと言うと、私は作品の根底にあるテーマが強烈で不変であるからだと思うんです。そのテーマとは、クィアの世界の表現。*1
メインキャラクターのフランクン・フルターは男性の見た目で異性装者、そしてバイセクシャルです。人造人間を作ると言う禁断の実験にも手を出しています。
他に出てくる登場人物たちも殆どが宇宙人で、地球の常識は通用しません。数少ない地球人の一人であるエディもパンクロックに傾倒した不良で、社会に弾かれる者です。
唯一のマジョリティーであるジャネットとブラッドがそんな彼らの中に入る事で、新たな自分に気づく(気づいてしまう)……と言うのが物語の大筋です。
このストーリーの根底に流れるのは、マイノリティー達の自己表現のうねりだと私は思っています。ジャネットとブラッドを変えて行くことで「普通ってなんだ?」「普通である事がそんなに大切な事なのか?」みたいな事をオーディエンスに語りかける訳です。
さて、長々と本家RHSについて説明をしましたが、今回2017年日本版を観た感想を語る上で映画版との比較は大切なことだと私は思っています。というか私は映画版モンペなので、映画版を無視して新しい物を語ることはできません。
2017年日本版はキャストも歌詞の翻訳もバンドも素晴らしく、開演前の売り子さんの登場などオーディエンス参加要素も大変楽しめる内容となっていました。
開演前にダンスのレクチャーもしてくれて、一回しか観るチャンスのなかった私でも本番で最大限に楽しむことができました。踊ってペンライト振って笛吹いて最高に楽しい時間を過ごせたと思います。
ですがその時間の中で、ハッと熱が冷めて現実に戻ってしまう瞬間がいくつかありました。それがコロンビアのキャラクターと、ジャネットへのセクハラです。
コロンビアについては、演じている俳優さん(歌手かな?)がどのようなセクシャリティーを持っているのか寡聞にして知らないのですが、おそらく日本で言う「オネエ系」なのだと思います。劇中で急にキンキン声から野太い男性の声に変わる場面が複数回あったのでそう感じたわけです。そのギャップによって会場の笑いを誘っていましたが、私は逆にすーっと冷めてしまいました。
ジャネットについては、ジャネットの下着と白衣からはみ出る胸を強調し、それをフランクンフルターが不意に触ることが複数回ありました。私はその演出にも熱が冷めてハッとしてしまった。
この二つはどちらも、本家や映画版が描いたクィアの自己表現を損ねていると思っています。
まずコロンビアのキャラクター。日本のテレビ番組では「オネエ系」のタレントさんがわざと野太い声を出して笑いを取るシーンが良く見られます。*2それまで女性らしく振舞っていた人が「本当は男でした!」と示すことで、「騙された!」という面白さを誘っているのだと思います。
けど、それって女性らしく振る舞いたい人たちにとって本当に良いことなのでしょうか? 少なくとも「オネエ系」と呼ばれている人たちは、生まれた性が女性ではない、体は女性ではないけれど女性らしく振る舞いたいのですよね? 中には自分の体が男性を示していることをつらく思っている人もいるはずです。
クィアが体の性や心の性、表現したい性をとりまく社会常識に関係なく、自分らしさを最大限に表現をしたのが映画版のRHSでした。ギラギラとセクシーに、乱痴気騒ぎをする中で、それを表していた思います。そんな本家RHSの逆を行くようなコロンビアのキャラクター付けが、私を夢から醒めさせたのだと思います。
次に、ジャネットへのセクハラ。セクシーなシーンのたくさんあるRHSでは性愛や快楽を肯定的に捉えており、ジャネットとブラッドは体が求める快楽に正直になることで常識から離脱できました。そんな物語からは性愛や快楽に対する真摯さが読み取れます。通りすがりにジャネットの胸を触るような不真面目さ、姑息さはそこにはない。
ベッドの中で直接ジャネットの胸を愛撫することで、きちんとセクシーなシーンを描いています。セクシーな雰囲気でも何でもない場面で通りすがりに他人の胸に触れることは「性愛のタブーを意図的に破った明け透けな表現」ではなく、ただの痴漢かセクハラの表現です。
これも本家RHSがチャレンジした明け透けな性愛の表現を損なっていると私は思います。それに舞台の上であろうと、若い女性が年上の男性に思いがけなく胸を触られるシーンは正直見たくない。
以上の二点をもってすると、私は2017年日本版RHSを手放しで「楽しかった!!」と評価することは出来ないです。タイムワープとか開演前のレクチャーはめちゃめちゃ楽しかったんですけどね! ギラギラした夢の世界からふっと冷めて現実に戻ってしまう瞬間が少なからずあった事はとても残念でした。
以上が私の感想です。
ネタバレを避けて他の方の感想を一切読んでいないので、的外れな事言ってたら堪忍して下さい。
あ、あと何でロッキー喋らせたんですかね?! あのウホウホ言ってるロッキーが可愛いのに……ピカチューが喋るのと同じくらいの大罪ですよ。
ラストでロッキーとフランクンフルターが純粋な愛に帰結するところも、なんで改変しちゃったのかな。キングコングオマージュ最高なのに……。あのラストのせいでジャネットがただの本物のスラットになってしまいましたよね。
note記事「ウマ娘などのブルマ姿に思うこと」へのアンサーソング
友人がブログを書いたというので読み行ったら,なんだか自分も書きたくなったのでアンサーソング(ソング?)を書くことにしました。
友人のブログはこちら。
ブルマ問題をダサさの視点で書くと聞いたとき,正直なところ不安を覚えた。出来上がってくる文章にではなく,書かれたものに対して寄せられるであろう反応にである。なぜなら2026年現在,ブルマが小学校における体操服以外の文脈で話されるとき,十中八九がエロとのかかわりだからである。
その証拠に,ブラウザのプライベートモードでブルマを検索してみてほしい。エロ関連の結果が……あれ、けっこう非エロの話題もあるな?
ドラゴンボールのキャラが出てくるのは当然だけど,これは本稿におけるブルマとは意味が明確に違うので除外するとして,ブルマが温活にいいという何かの記事も出てくる。
前言を撤回する。Googleで調べてもエロ以外の文脈の検索結果は出てくるよね,すみません。
その検索中で特に目を引くのが「動画」のカラムで,それが結構問題だなと感じるのである。検索結果の中でタブを「動画」に変えると,
話を戻すと,学生の体操着以外のブルマの話題には,多くの場合エロのコードがつく。だからブルマをテーマに自分の意見をしたためた場合,何をどう書いたとしても,必ず誰かにエロの文脈で回収されオモチャにされてしまう不安がつきまとう。
私は友人とは立場を変えて,今回「えっちなのはいけないと思います!」
しかし、そうでない大人が世の中には結構いるのだ。
モード(流行の先端)は,エロくない。かっこいいからだ。
女の身体が男性(サオ役?)の性的魅力に屈服して,全力で男性(の体)を求めてくれること,そして快楽のためにどんな性的サービスでもしてあげちゃったりすることが,エロがりポイントなのだと思う。